9月7日(土) 受付開始 <10:00> 開会の辞 <10:20-10:30> 英米文化学会会長 曽村充利 (法政大学) 研究発表 <10:30-14:30> 1. アメリカ黒人音楽と公民権運動:歌声で表現した団結の精神 <10:30-11:00> 発表者 赤木大介 (日本大学) 司会者 大橋稔 (城西大学) 2. ベン・ジョンソンの代表的戯曲にみられるhumourの意味と用法: 『癖者ぞろい』と『磁石婦人』を比較して <11:00-11:30> 発表者 石川英司 (城西大学) 司会者 長谷川千春 (至学館大学) <11:30-11:45>小休憩 3. 美女再生譚に見るエドガー・アラン・ポーのグリーフケア <11:45-12:15> 発表者 田中浩司 (防衛大学校) 司会者 佐野潤一郎 (環太平洋大学) 昼食 <12:15-13:30> 4. タィンハ・ライ『聴いて、ゆっくりと』にみるトランスナショナルな 「カミング・オブ・エイジ」 <13:30-14:00> 発表者 天野剛至 (鈴鹿大学) 司会者 塚田英博 (日本大学) 5. Kumu Kahua Theatreのあゆみと エドワード・サカモトにみるハワイのローカル演劇 <14:00-14:30> 発表者 古木圭子 (京都先端科学大学) 司会者 藤岡阿由未 (椙山女学園大) 小休憩 <14:30-14:50> 基調講演 <14:50-15:50> 宮崎駿を批評するとはどういうことか? 杉田俊介 (批評家) 閉会の辞 <15:50-16:00> 英米文化学会理事長 君塚淳一 (茨城大学) 懇親会 <17:00-19:00> ワールドキッチン (横須賀ポートマーケット内) 当日会費:500円(非会員・一般)300円(非会員・学生)懇親会費:3000円 アメリカ黒人音楽と公民権運動:歌声で表現した団結の精神 赤木大介 (日本大学) アフリカから米国植民地に運ばれて来た黒人たちにとって、奴隷労働の苦悩や奴隷解放後にキリスト教と結びついた黒人霊歌はアメリカ黒人のアイデンティティとなった。そして1955年から大きな社会運動となった公民権運動では、不安や恐怖との戦いや、団結力を生み出す顕著な特徴として歌声が映像とともに記録されている。 本発表では、映像資料として『アイズ・オン・ザ・プライズ』(PBS、1987年公開)で確認のできる実際の歌声や、音楽活動家ピート・シーガー(Pete Seeger, 1919-2014)の収集した楽曲が掲載されているEverybody Says Freedom: A History of the Civil Rights Movement in Songs and Pictures (1989)の文献から汲み取れる歌詞のメッセージをもとに、音楽の力やその役割が黒人にとってどのような位置付けとなり彼らの権利を勝ち取る助けとなったのか考察をする。 ベン・ジョンソンの代表的戯曲にみられるhumourの意味と用法 『癖者ぞろい』と『磁石婦人』を比較して 石川英司 (城西大学) 現代では主に諧謔やおかしみといった意味をもつ語humourであるが、どのような過程を経てそのような意味を持つに至ったかという問いはユーモア研究の根幹を成すものの一つといえる。ベン・ジョンソン(Ben Jonson, 1572-1637)による戯曲はhumourの意味の変遷に大きな影響を与えたとされる。そこで、これらの作品におけるhumourの意味と用法の違いを分析するために、ジョンソンの戯曲12作品を用いてベン・ジョンソン戯曲コーパスを作成した。この中で、ジョンソンの戯曲としては初期にあたる『癖者ぞろい』(Every Man in His Humour, 1601)と後期にあたる『磁石婦人』(The Magnetic Lady, or Humours Reconciled, 1641)とを比較し、humourの意味と用法の変化について明らかにし、変化の背景について考察する。さらに、それぞれの作品とベン・ジョンソン戯曲コーパスとを比較することによって、当該作品の中に見られるhumourの意味と用法が彼の作品全体を通じて見られるそれとどのように異なるのかを明らかにする。 美女再生譚に見るエドガー・アラン・ポーのグリーフケア 田中浩司 (防衛大学校) エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の作品には、「モレラ」 (“Morella,” 1835)、「ライジーア」(“Ligeia,” 1838)、「エレオノーラ」(“Eleonora,” 1842)など、いくつかの美女再生譚がある。ポーは死別や失恋など、数々の失望と悲哀に満ちた人生を歩んだ作家として知られるが、そうしたポーの伝記的研究と照らし合わせ、近年その研究が盛んになりつつあるグリーフケアの観点から彼の描いた美女再生譚を考察する。美女再生譚にポーの悲嘆がどのように反映され、どのように自らの悲嘆を癒そうとする様子が見られるのか、グリーフケア研究の知見を用いて作品を分析することによって、創作活動が作者の抱く悲嘆にもたらす癒し効用とその限界について論じることをもって本研究発表の目的とする。 タィンハ・ライ『聴いて、ゆっくりと』にみるトランスナショナルな 「カミング・オブ・エイジ」 天野剛至 (鈴鹿大学) 本発表では、タィンハ・ライ(Thanhha Lai)による『聴いて、ゆっくりと』(Listen, Slowly, 2015)をテクストに取り上げ、児童文学の主たるテーマの一つである「カミング・オブ・エイジ」をトランスナショナル空間において分析することを目的とする。ファン・フェネップ(Arnold van Gennep)によれば、通過儀礼とはライフサイクルにおけるある状態から別の状態への移行であり、その過程には「分離」・「過渡」・「再統合」の三つの局面を伴う。このうち、「カミング・オブ・エイジ」は、日常とは切り離された世界で試練を経験しながら、こどもからおとなへと精神的に移行する成年儀礼に相当する。本発表では、トランスナショナル空間を、二つの異なる文化が相互作用して意味の書き換えがおこなわれる、ホミ・バーバ(Homi K. Bhabha)が言うところの「中間地点の」空間と捉え、同時にこの文化横断的空間に二つの位相をつなぐ通過儀礼のリミナリティ(境界領域)としての役割を見出す。これらの理論的枠組みに基づいて本作品を分析すると、主人公であるアメリカ生まれのヴェトナム系少女マイが、家族とともに祖国ヴェトナムへと「帰郷」し(=分離)、非日常的な異文化の世界でさまざまなトラブルに見舞われながらも家族の絆と自身のルーツを再確認し(=過渡)、新たなアイデンティティを獲得してアメリカに戻っていく(=再統合)という、一連の成年儀礼的過程を読み取ることができる。 Kumu Kahua Theatreのあゆみと エドワード・サカモトにみるハワイのローカル演劇 古木圭子 (京都先端科学大学) Kumu Kahua Theatre(以下KKT)は、ハワイのローカル演劇の隆盛を目指して1971年に設立された。KKTに発掘され、その後アメリカ本土まで活躍の場を広げた劇作家も少なくはない。そのうちの一人が、日系劇作家のエドワード・サカモトある。彼のIn the Alley は、1961年のハワイ大学の劇作コンテストにおいて最優秀賞を獲得し、同年初演を迎えたが、その後KKTにおいて1974年に再演された。1950年代のハワイに舞台が設定された本戯曲は、農業労働において搾取されている「ローカル」のハワイ男性と、1940年代にハワイに移住してきた“haole”と呼ばれる白人男性たちの確執を扱ったものである。本発表においては、KKTの歴史とその存在意義、ハワイで劇作活動を始め、その後本土へと活躍の場を広げていったサカモトの戯曲の関係を分析し、ハワイのローカル文化発信の場としての劇場の性質について考察を進めてゆきたい。 基調講演 宮崎駿を批評するとはどういうことか? 杉田俊介 (批評家) 宮崎駿についての書籍や論文は無数にある。しかしたんなる謎解きや、技術論や、一面的でイデオロギー的な批判や、自説を補強するために宮崎作品を利用するようなものがまだまだ多い。かつて小林秀雄は、汲み尽くせぬ対象としてのドストエフスキーに対峙し続けたが、宮崎駿の思想とその作品もまた、汲み尽くせぬ批評対象として私たちの前にある。では、宮崎駿を批評するとは、そもそもどういうことか。基本的なところから考え直してみたい。 |
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