9月8日(土) 受付開始 <13:00> 開会の辞 <13:30−13:40> 英米文化学会会長 曽村充利 (法政大学) 研究発表 <13:40−15:50> 1. 大学英語授業における時制と語順の習得を目的としたスピーキング活動の効果 <13:40-14:10> 発表者 市園なお子(宮崎大学)・釘田奈央子(宮崎海洋高等学校) 司会者 大東眞理(帝京平成大学) 2. 日本の英語教育において発音教育が軽視されて来た原因と理由に関する考察 ― 発音教育軽視から重視への方向転換の可能性を探る ― <14:10-14:40> 発表者 平田稔(東京薬科大学) 司会者 赤木大介(大東文化大学) 小休憩 <14:40−14:50> 3. 圓朝の翻案落語『蝦夷錦古郷の家土産』とWilkie Collinsのセンセーション・ノヴェル ― 原作の同定及び翻案との比較 ― <14:40−15:10> 発表者 閑田朋子(日本大学) 司会者 水野隆之(早稲田大学) 休憩 <15:10−15:30> 基調講演 紫式部、心の軌跡 ―『源氏物語』創作を支えた問題意識― <15:30−17:00> 講演者 山本淳子(京都学園大学 人文学部 歴史文化学科 教授) 懇親会 <17:00−18:00> 京都学園大学 北館1F カフェレストラン THE COMMONS G 第2日目 9月9日(日) 受付開始 <9:00> 4. 英語教育に活かすジャンル別コロケーション研究 ― 歯学論文コーパスを用いて ― <9:20−9:50> 石川英司(城西大学)・田嶋倫雄(日本大学) 司会者 飯村文香(芝浦工業大学) 5. 公民権運動聖地巡礼プログラムに見る「公民権」の文脈 <9:50−10:20> 佐野潤一郎(環太平洋大学) 司会者 大橋稔(城西大学) 休憩 <10:20−10:30> ワークショップ <10:30−12:40>(小休憩 <11:30−11:40>) 交差するまなざし ― 外国(人)が見つけた日本、日本(人)が見つけた日本をめぐって― 司会・発表者 式町眞紀子(法政大学) 発表者 赤井朋子(神戸薬科大学)・石塚倫子(東京家政大学)・藤岡阿由未(椙山女学園大学)・ 古木圭子(京都学園大学)・蒔田裕美(法政大学)・宗形賢二(日本大学) 閉会の辞 <12:40−12:50> 理事長 君塚淳一 (茨城大学) 当日会費:500円(一般非学会員)・300円(学生非学会員) 懇親会費 2000円 第一日目 <研究発表> 1.大学英語授業における時制と語順の習得を目的としたスピーキング活動の効果
市園 なお子(宮崎大学)
釘田 奈央子(宮崎海洋高等学校) 本研究は、基礎文法の指導に焦点をおいた英語スピーキング活動を実践し、その効果を検証したものである。大学の入試制度が多様化する中、新入生の学力低下や学力格差の増大が懸念されている。筆者が担当する英語クラスでも、情報伝達に大切な基礎的な時制や語順が理解できていない、知識はあるが適切に運用できない、あるいは単語による発話しかできないといった学生が少なくない。調査では、第1学年生86名を対象に、9回の授業の冒頭で、基礎的な時制と語順の運用に焦点をおいたスピーキング活動を実践した。指導期間の事前と事後にテストを実施し、t検定を用いて平均点の差を比較した。その結果、時制問題の得点に変化はなかったが、語順問題と質問文作成問題では有意な伸びが認められた。また意識調査では、本活動を通して文章で話す力がついたという回答も見られた。この結果を踏まえ、スピーキング活動による文法指導の効果と課題について論じる。 2.日本の英語教育において発音教育が軽視されて来た原因と理由に関する考察 ― 発音教育軽視から重視への方向転換の可能性を探る ― 平田 稔(東京薬科大学) 本発表は、英語習得の重要な要素の1つである「発音」が、戦後の日本の英語教育において長らく軽視されて来た原因と理由を考究し、今後の英語発音教育の方向性を探ることを目的とする。 考察は、2016年6月に実施した質問紙調査による学校発音教育の現状分析、並びに、英語科教育法、英語音声学、第二言語習得論の3つの学問分野の文献調査によって行い、各学問が抱える問題点と各学問間の対立が発音教育の進展を阻害して来た状況を明らかにする。加えて、発音教育軽視の歴史的背景には、@受験英語、A教授法の転換、BELF概念の登場、の3つの大きな要因が底流にあることを提示する。 上述の考察及び、近刊の外国語・英語教育関連書籍の調査から、外国語学習における発音重視の機運の兆しを指摘し、今後の英語教育が発音指導において方向転換を図る可能性を探る。その好個の例として『脳が認める外国語学習法』(ガブリエル・ワイナー)等を簡潔に紹介する。 3.圓朝の翻案落語『蝦夷錦古郷の家土産』とWilkie Collinsのセンセーション・ノヴェル ―原作の同定及び翻案・原作の比較―
閑田 朋子(日本大学)
江戸時代から明治時代にかけて活躍した落語家、初代三遊亭圓朝(1839-1900)は、その口演筆記が二葉亭四迷らに影響を与え、言文一致運動に弾みをつけたため、現代日本語の父と呼ばれる。圓朝は伝統的な話芸に新風を吹き込み、数多くの新作落語を披露した。そのなかにはヴィクトリアン・サルドゥ(Victorien Sardou, 1831-1908)の『ラ・トスカ』(La Tosca, 1887)を原作とする『名人競(錦の舞)』(1891)のような西洋種の翻案物も含まれている。彼の『<基調講演> 紫式部、心の軌跡―『源氏物語』創作を支えた問題意識―
講演者 山本 淳子
『源氏物語』の作者・紫式部の作としてよく知られているのが、百人一首の和歌「巡り会ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」。自撰和歌集『紫式部集』の冒頭に掲げられた一首である。紫式部は最晩年、自分の人生を回顧するようにこの和歌集を編んだ。その中に込められた三つのキーワードが「世」と「身」と「心」である。これらは平安時代の和歌においては平凡な言葉に過ぎないが、その意味を文字通り「身」を以て知った時こそが自分の転機だったと、紫式部は言おうとしていると考える。これらの言葉を通して抱いた人生への問題意識を、彼女はやがて『源氏物語』にぶつけ、さらに深く追究し始める。だからこそ光源氏をはじめ『源氏物語』の登場人物たちは、誰もが必ず「世」に縛られた「身」を持ち、欲望や情念という「心」をもてあまして生き続ける。人のそうした在りようは、時や所を問わぬ普遍的なものだろう。模索の結果、紫式部の辿り着いた境地についても考える。(京都学園大学 人文学部 歴史文化学科 教授) <研究発表> 4.英語教育に活かすジャンル別コロケーション研究 ―歯学論文コーパスを用いて―
石川 英司(城西大学)
特定の分野に焦点をおいた英文において頻出度の高い内容語を中心としたコロケーションを確認し、さらに同じ分野内でも異なる目的で執筆された英文ごとに見られるコロケーションを比較検討することは英語教育教材作成において有益である。本発表では、医療業務管理、臨床診断、歯科産業関連の実用的な情報を提供する歯科医療総合情報誌 の記事で構成するコーパスと、歯学系学術論文を収集したコーパスにおいて、対象語のコロケーションを抽出し、比較し、その相違を確認した。その結果、同じ分野であっても、タイプ別の英文において、コロケーションに大きな違いがあることが認められた。このことから、おおまかな題材で学習すべき語彙や語句を選ぶのではなく、より詳細に目的を分析し、学習者のニーズを明確にしてから学習材料を選別する必要性を議論する。田嶋 倫雄(日本大学) 5.公民権運動聖地巡礼プログラムに見る「公民権」の文脈
佐野 潤一郎(環太平洋大学)
米国の公民権運動から半世紀を経て、若い世代に公民権運動を伝えようとする聖地巡礼プログラムが継続的に行われている。しかし、プログラムの主催者たちが与えようとしている教育的意図における「公民権」の文脈は、キング牧師たち「公民権」運動の指導者の当時の文脈とは違うことが想定される。本研究は米国内で複数の団体により実施されている公民権運動聖地巡礼プログラムの内容を踏まえ、言語化されたドキュメントから現代における「公民権」の文脈を探ることを目的とする。方法として、歴史的事象を時代ごとの解釈者がそれぞれの時代に即した文脈から価値化することを示したヒストリオグラフィーの視点を用いる。それにより公民権運動の舞台を巡礼の対象とするに至る神聖化の意識とその影響を見出す。とりわけ神聖化にともなう文脈上の不整合から敢えて看過される可能性のある事象の扱われ方について考察し、広汎化する人権意識を取り込んだ現代における「公民権」の文脈の拡大を論じる。<ワークショップ> 交差するまなざし ― 外国(人)が見つけた日本、日本(人)が見つけた日本をめぐって―
司会・発表者 式町 眞紀子(法政大学)
今回、比較文学分科会参加者によるワークショップを企画するにあたり、「演劇」をキーワードとした。ひとくちに演劇と言っても、切り口は様々である。たとえば、役者や演出家、または台本作者に対して多角的なアプローチを取る一方で、作品を起点とし、観客、あるいは読者として作品を受容した人物が、翻訳や新たな作品の創造者となる点に着目するアプローチもある。発表者 赤井 朋子(神戸薬科大学)・石塚 倫子(東京家政大学)・ 藤岡 阿由未(椙山女学園大学)・古木 圭子(京都学園大学)・ 蒔田 裕美(法政大学)・宗形 賢二(日本大学) アプローチの多様性を象徴するように、発表者が取り上げるのは、それぞれバジル・ホール・チェンバレン、川上音二郎、森律子、坪内士行、山田耕筰、大岡昇平、チオリ・ミヤガワである。外から日本に来た者、そして日本から外に出た者という取り合わせであるが、日本を発見したのは外国人に限らない。日本人でも、外から日本を見たという経験をもとに、改めて日本を見つけ、それをもとに独自の表現世界を模索し、形成した。異文化との接触は、まさに自己との対峙だったとも言えよう。まなざしは常に交差していたのである。 今年は明治維新150年の記念年であるが、奇しくも、当ワークショップに参加することは、明治初期から平成の現在に至る、150年における文化的交渉の足跡を辿ることにもなる。発表者、フロア双方のまなざしが交差する中で、新しい発見が導かれることを期待したい。 |
問い合わせ:大会担当理事
詳細はこちら
大会ページTOPへ戻る
ホームページTOPへ戻る