参加方法: 会員には前日までにメールでミーティングIDとパスコードをお送りします。 非会員で参加を希望される方は、お名前とご所属を明記し参加希望のメールを事務局MichioTajima(at)SES-online.jp (注:@を(at)に書き換えてあります)までお送りください。ミーティングIDとパスコードをお伝えします。 参加者は「聴講者向けZoomマニュアル」(上記リンク参照)をご参照いただき、開催時間にお伝えしたミーティングIDとパスコードでご参加ください。(マニュアルは大学教育研究フォーラムが作成したものを許可を得て使用させて頂きました。) ご不明なことがございましたら事務局までメールでお問い合わせください。 |
開会挨拶 (3:00−)
英米文化学会会長 君塚淳一 (茨城大学) 研究発表 1. アフリカ系アメリカ人バレエダンサーの誕生とダンス・シアター・オブ・ハーレム ―その差別と改革の歴史の考察― (3:10−3:50) 発表 石井凜佳(茨城大学大学院) 司会 君塚淳一(茨城大学) 2. 騎士道と武士道の接触と反動:梶原一騎『侍ジャイアンツ』における忍耐と自己犠牲 (3:50−4:30) 発表 長谷川千春(至学館大学) 司会 永田喜文 (明星大学) 3. 第2次世界大戦後のアメリカによる英語教育拡大 ―Public Diplomacyとしての英語 (4:40−5:20) 発表 谷 憲治(武蔵大学) 司会 河内裕二(尚美学園大学) 閉会挨拶 (5:20−5:25) 英米文化学会副会長・事務局長 田嶋倫雄 (日本大学) 臨時総会 (5:25−) 研究発表抄録 1.アフリカ系アメリカ人バレエダンサーの誕生とダンス・シアター・オブ・ハーレム ―その差別と改革の歴史の考察― 石井凜佳(茨城大学大学院) クラシックバレエの起源は1400年頃のイタリアとされ、その後、フランス、ロシアも主要国に加わるが、この時代の芸術は、王侯貴族が嗜む格式高いものであった。その品位を重んじる伝統は、今日でもクラシックバレエの印象を形作っている。同時に、白人のみが活躍を許される差別が根強く残る芸術でもあった。だが、現在では、人種を問わずダンサーたちは様々なバレエ団が活躍可能になった。その活躍の一躍を担ったのは、アメリカ名門バレエ団で初めて黒人男性ダンサーとして最高位まで登り詰めたアーサーミッチェル(Arthur Mitchell, 1934-2018)が、アフリカ系ダンサーのために1969年に設立した「ダンス・シアター・オブ・ハーレム」であった。この活動でアフリカ系バレエダンサーたちの存在が注目され、アメリカだけでなくヨーロッパのバレエ界の門戸も開かれるに至った。本発表では、この歴史が記されたDance Theatre of Harlem(2021)やアフリカ系バレエダンサーの伝記などをもとに、差別のかつての状況とダンサーたちが活躍できるに至った歴史的変遷を明らかにする。 2.騎士道と武士道の接触と反動:梶原一騎『侍ジャイアンツ』における忍耐と自己犠牲 長谷川千春(至学館大学) 本発表では、梶原一騎・井上コオ『侍ジャイアンツ』(1971-1974年)において「サムライ化」する主人公番場蛮、及び彼が体現する武士道や忍耐の限界を考察する。様々な魔球が生み出され飽和状態だったスポーツ根性野球漫画において、『侍ジャイアンツ』には主人公が自己犠牲を払い絶命する結末に独自性があり、これに関する指摘は多い。しかしながら、野性がなく紳士的であることが前提の日本プロ野球球団への反動や西洋騎士道の影響については、昨今の研究では注目されていない。『侍ジャイアンツ』を研究対象として選んだ理由はここにあり、本研究で新たな知見を示す。 論を進める方法としてまず騎士道、スポーツ、武士道に関する先行研究を踏まえ、明治期日本の騎士道の導入及び戦後のアメリカの影響に触れ、西洋化されてきた日本の時代背景を確認する。その後『侍ジャイアンツ』の冒頭、川上監督が紳士の野球チームに「サムライ」を欲する意図や主人公番場蛮が実際に「サムライ」と同一視される意味を論じる。 3.第2次世界大戦後のアメリカによる英語教育拡大 ―Public Diplomacyとしての英語 谷 憲治(武蔵大学) かつての植民地主義により欧米列強の言語が世界にばらまかれた時代では、まず先遣隊としての使節団が植民地とすべき国や地域に送られ、そこで自らの言語で宗教教育を始め、その教育に強い影響を受けた地元の有志らは、新たな宗教や言語を拡散していった。 同じく第2次世界大戦後のアメリカも、世界中に人材を派遣し、さまざまな活動を通してアメリカの影響力の源となる英語を広め、その覇権を強化し拡大して行ったのである。日本を例にとれば、英語に関する教育機関への人材派遣や支援が行われたのだが、先行研究としては、表立ったアメリカの政治力行使や国際支援に力点を置いたものが多い。この研究発表では、いわば裏の顔であるPublic Diplomacyの観点からアメリカの活動に光を当てるため、主としてアメリカ合衆国広報文化交流局(USIA)により発行された一次資料をもとに、どのような活動があったのかを紹介する。 |